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伊豆東海岸に鉄道が敷設された経緯をご存じですか?
現在伊豆東海岸の鉄道ルートは、熱海からJR東日本の伊東線が伊東まで、それに接続し当社の伊豆急行線が下田まで延びています。
ここでは、それらが敷設されるまでの歴史をご紹介させていただきます。

 

第1次鉄道誘致運動
 

伊豆での鉄道敷設は、伊豆半島住民の明治以来の悲願でした。昭和13年12月の国鉄(現JR東日本)伊東線開通により、伊東まで鉄道が敷設され、それに続き1度は伊東−下田間延長の閣議決定がされたものの、その計画は凍結され、さらに昭和29年12月、運輸省の諮問機関である鉄道建設審議会の「新線建設計画慎重論」の答申により、明治以来続いた地元住民による鉄道誘致運動は、ここに終幕を迎えることとなりました。

 

東京急行電鉄鰍ノよる鉄道敷設

 

次に伊豆半島に鉄道敷設をと立ち上がったのは、東京急行電鉄鰍フ「伊豆観光開発構想」でした。伊豆をこよなく愛す五島慶太会長が率いる東京急行電鉄鰍ヘ、 昭和28年に伊豆観光開発構想を樹立しました。その後、昭和31年2月、同社は伊東−下田間地方鉄道敷設免許を申請しました。それは地元住民にとっては、まさに晴天の霹靂であり、明治以来の悲願達成への新たな光となりました。すぐに下田では「伊東・下田鉄道敷設促進下田同盟会」が結成され、下田までの鉄道敷設を“第2の黒船の到来”と称し、その実現に下田全住民一丸となって邁進しました。その結果、昭和34年2月、免許申請から3年経ち待望の鉄道敷設免許が交付されました。鉄道敷設の認可を受け昭和34年4月11日、東京急行電鉄鰍ヘ、「伊東下田電気鉄道梶i当社前身)」を設立し、昭和35年1月22日に鉄道建設の起工式を挙行しました。工事は、伊東−下田全路線を10工区に分け進められました。その後、昭和36年2月20日、開通に向けて営業および広報活動の促進等を考え、社名を「伊豆急行株式会社」に変更しました。工事は31か所にものぼる隧道工事や困難な用地買収等にもかかわらず、2年を要せず竣工し、昭和36年12月10日に開通を迎えることができました。この鉄道開通により、伊豆半島南部の今まで埋もれていた無限の観光資源が日の目を見ることとなりました。

 

伊豆とともに生きる

 

残念にも、伊豆半島に鉄道を敷設する夢に向かって邁進した東京急行電鉄鰍フ五島慶太会長は、開通前にこの世を去りましたが、その遺志は下田市の寝姿山山頂の一角の「五島慶太は伊豆とともに生きている」という顕彰碑に込められ、故人の愛した伊豆を静かに見守っています。この寝姿山には、ロープウェイで山頂まで登ることができますので、興味のある方はこの顕彰碑を捜してみてください。当社は、この遺志を「伊豆とともに生きる」という社是として引き継ぎ、伊豆の発展に尽力しています。

 

 


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